九州2024 DAY-6am 最近まで知らなかったあの地へ
卓球のあの娘が話題にしていた知覧特攻平和記念館。ま、その遥か前からバイク仲間の多くにイチオシされていて、行く予定もあの娘の話題以前から決めていたのだけれど、起きたら雨で迷ったが、早々と晴れてきたので向かうことにした。
天気予報より改善が早いので、まずは知覧へ |
「知覧特攻平和記念館」英語だと"Chiran Peace Museum"。特攻の単語がない。そもそも特攻という単語は英語には無く、死を以ての攻撃みたいに書かれる。概念がないわけじゃない。みんなのための自己犠牲。古くは映画「アルマゲドン」のブルースウイルスとか、「トップガン2」でもトムクルーズがやってるね(ま、生還しちゃうけど。)
英語では平和博物館。 |
零戦、隼、屠龍、97式…と『荒野のあかつき飛行隊で懐かしい機体ばかり置いてある。そして、知覧の歴史は、沖縄上陸戦を阻止するためのものとも初めて知った。(神風特攻隊全体が沖縄戦対策というわけではない。)
また、B29を目標にした飛行機による特攻(あの3/10東京大空襲の時も出撃していた。)。船で船を狙う特攻(回天など)もあったとあらためて認識して、この特攻という異常な戦闘行為により疑念が深まった。
また、家族がいないからなのだろうか?手紙やストーリーでは泣けなかった。推薦してくれた人達は皆「号泣した」と言っていたのだが…年齢?子供がいないから?非国民だから?(笑)
そうそう、特攻映画ということで、帰りの船で「あの花の咲く丘で、もう一度君に会いたい」を鑑賞。コレは泣いた。
脱線するが、夜、鹿児島で鰻屋の同年代のマスターとその話題になった。どうして、軍トップはあんな作戦考えたのだろうかと?全く同感。不思議だ。見識の狭い人間がトップをやるとこうなるのだろう。人のふり見てわがふりなおせ?反面教師?明日は我が身?歴史に学べ?いろんな方面に色々思うが…
特攻した人たちには感謝しかない。
一方、特攻という名前を定義したバカものはだれなのか。
概念は、名前をつけると人々に広まる。どこかから『特攻』がバズワード化し、誤解されて広まってしまった。それが正気を失っていた日本軍の『作戦』となってしまった。
バスワードに踊らされない人でありたいと思う。
言葉の本当の意味を理解する様に、伝えられる様に、良い方向に向いてもらえる様につとめたいと思った。
さて、雑学その1。高高度航空機開発の書き物の中に「電熱服を着ても寒い」と書かれていて、80年前からヒーテック(現ヒートマスター)ジャケットはあったのかと感心したw
雑学その2。
最初、連合軍は、中国の成都からB29による日本爆撃を考え実行したけれど、九州までしか届かなかったそうだ。そこでマリアナ諸島を抑えて、関東まで辿りつける様にしたらしい。
また、1編隊は80〜90機だったらしい((((;゚Д゚)))))))
開聞岳。もっと時間があれば... |