田中(旧姓:佐藤)和子の生涯

父=祐次さんの思い出を書いた後、なんとなく母=和子さんに「私のは?」と言われているような気がしたので,もう10年もたってしまいましたが書いてみました


 
75歳の誕生日(2013)


田中(旧姓:佐藤)和子は1938年、10月19日に神田金沢町(現在の秋葉原)で佐藤鉄四郎と佐藤まさの第一子として生まれました。

弟の健太郎と雄次郎

戦時中は小学1年生。でも3人兄弟のお姉ちゃんなので、ひとりで母の実家の佐原へ疎開。歳の近かった鈴子おばちゃんには可愛がってもらったらしいけれど、おじいちゃんとおばあちゃんは怖かったらしいです。良い思い出は少ない様子でした。ま、居候ですからねぇ。

中学のときの写真(祐次さん写ってます)

戦後は神田に戻って、今川中学、日比谷高校と進んだそうです。成績優秀だったらしいです。(実は、和子さんのほうが祐次さんより成績優秀だったらしいですw)
中学では合唱部?だったそうで、どこだかの大会でも受賞したと祐次さんが言っていました。当時は歌が好きだったそうです。晩年、カラオケとかで歌っている姿は見たことがないんですが。。。

父=鉄四郎さんは神田で水道屋さんを営んでいたそうです。しかし、和子が16歳のとき、ガンで他界し、そこから母子家庭に。
しばらくは神田に暮らしていましたが、数年で佐原に引っ越すことに。でも、和子さんだけは高校も卒業だったので、東京に残りました。その時、亡くなった父と縁が深かった「神田寺」の友松円諦先生の元で働かせてもらいながら、早稲田大学の夜学に通いました。

デートの時の写真?

どんな縁だったのかわかりませんが、中学校、高校と同級性だった田中祐次と交際するようになり、1964年7月に結婚します。

結婚式の写真?

和子と母と祖父母と。

和子は卒業していましたが、田中祐次はまだ学生でしたので、学生結婚だったといえます。
数年で、田中祐次は長野市に赴任することになり、追いかける形で、長野に移り住みました。

その後、
1969年に長男を出産
1971長女年長女出産


長男 聡 出産

長女 知子 長野にて
 
そして、1973免許年ごろに、教習所に通って自動車免許を取得します。
「○○だから取った」と言っていたのですが、ごめんなさい思い出せません。


アメリカでの運転免許証


1977年、祐次に付いてアメリカへ。しゃべれなかったと後日言っていましたが、十分暮らしていました。アメリカでは子供たちを乗せてクルマでいろいろと近所に連れて行きました。8歳と5歳の子供を連れてアメリカ横断は楽しかったのでしょうか?(笑)

アメリカを西から東に横断するとき

アメリカを東から西に横断するとき

日本に戻ってからは、子供たちは学校に行くようになったので、働き始めます。本人の意志だったのか、祐次さんの誘導だったのか、いまとなってはわかりません。結婚相談所→ワープロ代行→生命保険屋さんといろいろとやっていました。保険屋さんだけは、祐次さんの意には反していたようで、あとで大喧嘩もしてました。

アメリカから帰国したあと母と兄弟とその子供たちと

暮らしの場所は、祐次の転職に伴い、長野から埼玉 八潮に移ります。
このころから、スクエアダンスに夢中になり始めます。草加のライスクッキーズに参加し、全国に踊りに行っていました。残念ながら、家族は関心を示さなかったので、写真があまりありません。ごめんなさい!

草加ライスクッキーズ所属のあかし

若いころの趣味は「切手集め」だったという話も聞きました。でも何歳くらいのときだったのかはわかりません。亡くなったあと、記念切手がたくさん出てきました。

子供の手が離れ始めた頃、母の介護がだんだんと始まります。弟の家と子供たちがいなくなった自分の住まいとの間で、自分が行ったり、連れてきたり。結局は母を連れて、鳴門、新潟と移り住み、最後まで看取りました。いまでも思いますが、ほんと和子さんはお母さんが好きだったんだと思います。

母と一緒に四国八十八か所参り?

住まいは、埼玉から、鳴門へ。鳴門から新潟へ。新潟から埼玉 新座へ。埼玉 新座から埼玉 草加へ。

鳴門では、鳴門スクエアダンスクラブを友人たちと創設しました。
晩年は祐次と社交ダンスを始めましたが、これも祐次の意向が強かったように見えていました。残念ながらパーティは1、2度しか参加できなかったと思います。


鳴門スクエアダンスクラブの14周年記念には飛んで行った

晩年は、高血圧と腎臓が悪いといわれていましたが、マイペースな生活でした。毎週のスクエアダンスには行こうとしますが、おっくうにもなるようで、いつも遅刻でしたw

佐原のお祭りで弟と


いまさらながら思い出すと、色々なシーンでの母自身の想いは聞けていないんだなぁと再認識しました。数少ない彼女自身の想いを聞けたのは、「どうして親父(祐次)と結婚したの?」という質問に対して「もうこの人しかいないと思ったのよ」という返事。いつも聞き役で、なんでも受け止めてくれた懐のひろい母だったと改めて思いました。

袋田の滝で

ありがとうございました。

追伸(息子より):
母の埋、先は、清澄白河になります。アクセスはこちら
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